会社を辞める数日前、予期せぬ出来事が
東海地区を集中した雨、『東海豪雨』
我が家の近くに、大きな川があり
床上、数センチの洪水です 泣
その時、アコードワゴンを乗っていたんです。(新車)
売って資金にしようとしているのに・・・
実は、行かせない様にしているんじゃないかと
海外に行ってはいけないのかと
何しに海外に行くの?目的は?遊びじゃないの??って
しかし、もう後戻りはできない。。。覚悟を決めろって言い聞かし
2000年10月15日に、シドニーに行くことが決定していたし
2000年9月15日にて退社する
4年間、お世話になった会社
社章を返す時に、ジーーーンって
その日から、世間一般ではニートです。
ダラダラしたし、英会話行ったり、手続きに行ったり
送別会があったり、あっという間の1ヶ月でした。
そして出発当日。。。
友達が迎えに来てくれた。
母親が見送ってくれた。。。すっごく寂しそうだった・・・
飛行場でモヒートと合流してなんだか一安心
そしてシドニーへ到着
迎えてくれたのは、エージェントの現地のスタッフの方
同じ日に到着したのは、僕を入れて5人
男性は、僕1人。。。話が会わねぇ~
簡単なスケジュールとオリエンテェーションの後、ついにホームステェ先へご案内
ドキドキです。話が通じるのかなぁ~どんな人なんだろう・・・
私の番になりました。。。玄関のドアを開ける瞬間
心の中でカウントダウンが始まりました。『3・2・1・・・』
スタッフの方は、簡単な挨拶をしてくれて次のホームステェ先に行かれてしまいました。
そこからです。。。知っている単語を、機関銃のように話す僕
ほっとした瞬間、機関銃のような質問が・・・やべっ わからない
この戦い負けちゃいました。 tehe
よくしゃべる青年から、無口な青年になるのに10分掛かりませんでした。
そこの家族は、両親と子供男2女2+犬
部屋に案内されると、机の上に一枚の紙が
1】門限は・・・
2】シャワーの時間は・・・
3】シャワーの使用時間は・・・
4】食事は・・・
5】冷蔵庫の中は、ご自由に・・・
6】洗濯は、週1回・・・
7】・・・・
8】・・・・
9】街までの行き方は・・・
よく覚えてないのですが、細かいルールがおいてありました。
街までとにかく不便なところでしたが、静かないいところでしたよ
翌日、街に決められた時間に向かう
日本語が話せる環境、お互いにステェ先について話し合う
んんん なんだか外れチック
すべてが終わってステェ先に戻るときに大問題が!!
行きはバスに乗って、街に行くので問題なし
帰りもバスに乗って帰るのですが、行きと帰りのルートが違う
焦った私は、なにを思ったかバスから降りたんです。
もとの自分の知っている道(大通り)に戻ろうとしたら戻れないぃぃぃ~
携帯もない。時間も遅い。人もいない。
電話番号はわかるけど、自分がどこにいるか伝えられない
当時、24歳のわたし、素で泣きそうでした 泣
帰れないぃぃぃ~ このままどうなるんだろう・・・
途方に暮れて歩いていると、スーパーマーケットが
人がいる何とかなる。っと確信した僕は、人に聞きまくり
『どこどこに帰りたいのですが・・・』でも、どうも伝わらないご様子
そんな中、日本語を勉強している青年がこっちに来てくれまして
片言の日本語で『どうしました??』
キターーーーーーーーーーーーーーー
『おうちに帰れないんです。。。』幼稚園児ですな。こりゃ
自宅まで送って頂き、もちろん2日目に門限破りをしちゃいました。
そこで、『道に迷う』という単語を覚えましたとさ
ちゃんちゃん
今の職場です。
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あれ??人生は1回しかないんですよ
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